コラム

10万円の約束をほどく作法──ラグジュアリー宿のキャンセル対応、その舞台裏

「泊まっていないのに、なぜ請求されるの?」
「でも、準備にかかったコストはどうなるの?」
──このギャップが、キャンセル対応を難しくしています。
特に客単価7万円超・室数10室未満の高級宿では、1件のキャンセルがその日の利益を吹き飛ばすことも。
今回は、和歌山のラグジュアリー宿「山荘 天の里」と、匿名希望の高級宿(理由は後述)に取材し、現場のリアルな対応と哲学を探りました。

規約だけではほどけない糸

午後の光が落ちるロビーに、静かな鈴の音のような電話のコールが響いた。
「ご予約ありがとうございます。当日は記念日でしょうか。お苦手な食材はございますか」
フロントデスクの声は、書類の確認よりも先に、相手の生活の温度へ寄り添っていく。

――宿泊約款にはキャンセルポリシーがある。
――だが、高級宿で交わされるのは、数字よりも前に置かれる「お迎えの約束」だ。

予約が入った瞬間から、台所は動き始める。旬を読む仕入れ、火入れの段取り、席の配置、アレルギーと嗜好の擦り合わせ。フロントは到着時間に合わせてシフトを微調整し、客室係は好みの加湿と寝具を準備する。

だから「直前キャンセル」は、未提供のサービスに対する請求ではなく、すでに発生した準備の回収という側面を持つ。とはいえ、宿側の事情を真っ直ぐに伝えても、額面だけが先に立ち、感情がぶつかることがある。
この難所をどう渡るのか――
和歌山の里山に建つ隠れ宿、天の里の扉を叩いた。

高級宿ほどその日のお客様を万全に迎える為の準備は長く、泥臭いことの連続だ。

和歌山が誇る高級リゾート「天の里」、二週間という“支度の境界線”

天の里は高野山地区で唯一のグランメゾン級の対応ができるレストランを備える最高級リゾート施設だ

木の香りが深いレストランで、支配人は穏やかに語る。

――「原則は大切にします。ですが、例外は先にこちらからお伝えします」

天の里では、OTAは事前カード決済に限る。リピーターの電話予約には確認書を送り、事前合意を重ねる。
自然災害の兆候が出れば、請求の話より先に、宿のほうから日程変更の提案を電話する。
体調不良などの個人的な理由は、規約通りに扱う。
無断不泊は100%だが、国内のお客様ではほとんど経験がないという。

支配人が一度だけ苦笑したのは、かつての「現地決済」時代のことだ。
準備をすべて終えた夜に、連絡のない不泊が起きた。翌朝、請求はできなかった。
あの夜から、天の里は全予約を先決済に切り替えた。支度の質を守るための、必要条件だ。

さらに、2020年のリニューアルで彼らは一つの決断をしている。
キャンセル料の起点を「1週間前」から「2週間前」へ。
仕入れと仕込み、シフトの確定、個別の演出の準備。どれもが二週間というリズムで動いている。それならば、約束を固める線も、そこに引くのが自然だ。

「規約を掲げるのは簡単です。ただ、お客様の不安が高まる前に、こちらから連絡を差し上げる。
『今日は風が強くなりそうです。日程のご変更を承ります』と。
約束を守るために、先に声をかけるのが私たちの作法です」

匿名希望の高級旅館、電話口から始まる接客がそこにあった

ゆっくりと優しそうに語る女将さん

もう一方で、取材に応じてくれた匿名希望の高級旅館の女将。
ここは一休.comでも売上ランキングTOPが常連の誰もが知る高級旅館。
そこは電話のベルが鳴った瞬間から接客が始まる宿だった。

匿名である理由は明快だ。
柔軟な対応を公にすれば、正直な配慮が「交渉の余地」として歪められる恐れがある。
高単価の予約から優先的に丁寧にお話を伺うこともある。
その現実だけを切り取られれば、「順番をつけている」と誤解される。
宿名を伏せるのは、防御ではなく、お客様一人ひとりの事情に合わせて組み替える自由を守るためだ。

――「予約電話での数分が、もっとも大切」

女将は明白な面持ちでそう語る─。

そこでは受話器を肩に挟み、スタッフはゆっくりと問いを重ねる。
来館の目的、食べられない食材、祝いの種類、過去の滞在の思い出。
そのメモは、当日の演出だけでなく、キャンセル率を下げる力を持っている。

「他と迷っていましたが、電話の対応が本当に良くて。ここに決めました」

そんな声は珍しくないという。
この宿では、キャンセル料の対象期間に入る二週間から一ヶ月前のどこかで、こちらから電話をかけることもある。
それは確認のためではない。
何を楽しみにされているのか、何を避けたいのか、どうすれば思い出が強く残るのか――
一緒に考えるための時間だ。
結果として、お客様は予定に優先順位をつけ、来館の確度が上がる。

そして、女将さんがしばらく考えてから、そっと明かした出来事がある。

──「そういえばこんなお客様もいらっしゃいました」

急でやむを得ない事情で来られなくなったお客様がいた。
しばらくして、その方が再び予約をくださった。

実はその時、宿は前回のキャンセル料をいただかなかったそうだ。
理由は、キャンセル規約では説明できない場所にありました。
約束を守れなかった後ろめたさ、お詫びに込められた再訪の意思、電話の向こうで震えていた声。
旅館は数字ではなく、信頼の糸を手繰り寄せた。

──「私たちはお客様にあわせた接客をすることに誇りを持っています」
──「お客様がルールだと思っております故、キャンセル料の在り方もお客様次第なんです」

改めて思うのは高級旅館とリゾートホテルでルール設計の在り方がまったく違うことがわかった。
みんなが一律に楽しめるためのサービス設計と顧客に寄り添うことをサービス設計しているところに大きな違いを感じた。どちらも素晴らしい考え方だと改めておもった次第だ。

航空に縛られるエリアと、宿の知恵

沖縄や北海道の宿では、空の事情がすべてを決める夜がある。
欠航の一報は、宿の判断を一気に透明にする。
航空会社の公式発表が出た時点で、宿のルールよりもそちらのルールを適用して日程変更と無償キャンセルを選べるようにしておくようだ。
規約の条文よりも、証拠の有無よりも、まずは足元の安全が優先されるべきだという合意を、予約の段階で交わしておく。

「今日は飛行機が欠航だった」――

その事実に抗わず、次の最良を一緒に選ぶ。
この「最初の前提」を共有しているかどうかで、電話の空気は変わる。

欠航の知らせと航空会社の対応は常に確認している

10万円の約束をほどく、三つの手

数字の重さと、人の柔らかさ。
この両端を結ぶために、現場で実際に機能している「手」は多くない。
けれど、正しく握れば強い三つの手がある。

ひとつは、先手の連絡
台風の予報、停電の可能性、道路の通行止め。お客様が不安に触れる前に、宿が先に声をかける。
「ご予定に影響が出そうです。ご変更を承ります」
これが、規約の話を始める前に交わす、信頼の呼吸だ。

ふたつ目は、選択肢を並べること。
定率の請求だけでなく、日程変更次回クレジットという、関係を未来に運ぶ方法を添える。
免除は切り札にし、乱発しない。代わりに、約束の重さを新しい日付へ移す。

三つ目は、支配人や女将が出る基準を決める
単価帯や予約の背景に応じて、支配人が直接電話するラインを館内で共有する。
「困ったら支配人・女将」という属人的な文化ではなく、「ここからは支配人・女将」という設計に変える。
一般的な高級宿はそれを細かくマニュアルに落とし、スタッフの安心と一貫性を守っている。

女将がクレームに対応するだけでまったくお客様の表情も違うという。

規約で守り、接客で救う

天の里の支配人は、最後にこう言った。

「料金をいただくことは、お迎えの準備に責任を持つということでもあります。
ですから、請求は淡々と、説明は丁寧に。 そして、例外はお客様に安心していただくために、こちらから先に申し上げるのです」

匿名希望の高級旅館の女将は、別れ際に小さく笑って、こう続けた。

「予約前から信頼を作ると、キャンセルは減ります。 それでも起きる時はありますから、その時は『次の最良』を一緒に選ぶ。 それが、私たちの仕事だと思っています」

キャンセル料は、線を引くための道具にすぎない。
線をまたいだ先で、人と人がもう一度向き合うための、細い手がかりだ。
10万円の約束は、規約だけではほどけない。
ほどき方を知っている人は、いつだって、先に声をかける。

出典と注記

・山荘 天の里 支配人への取材に基づく発言要旨(事前カード決済、自然災害時の先手連絡、二週間前起点、無断不泊の取り扱い 等)
・匿名希望の高級旅館への取材に基づく発言要旨(予約電話から始まる接客、対象期間前のヒアリング、再訪時の費用免除事例、匿名理由 等)
・本文は取材内容をもとに再構成したエッセイです。各館の運用は日々更新される可能性があります。

現場Tips──揉めないキャンセル対応の設計メモ

  • 予約確認メールに「準備の一部」を一文だけ添える(例:「お食事は○日前から仕込みを始めます」)。見えない原価の可視化は、心理的納得を生む。
  • 自然災害の可能性が出たら、宿から先に連絡する定型文を用意。日程変更・無償キャンセル・バウチャーの三択を明記。
  • 例外判断の「チェックカード」をフロントに常備(原因区分・証憑・基本対応・記録)。その場しのぎを避け、館内の一貫性を担保。
  • 支配人が直接対応する単価帯・条件をマニュアル化。「困ったら支配人」ではなく「ここから支配人」。属人を設計に変える。
  • 航空依存エリアは、公式の欠航・運休発表をトリガーにした方針を予約段階で共有。電話の空気が澄む。

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